雛人形・五月人形・羽子板・破魔弓の人形の佳月
古都・京都の歴史の中で、守り伝え磨き抜かれた一流の技と美の結晶、京雛、京甲冑。
人形の佳月は、この伝統ある京を代表する雛人形作家、 甲冑作家の作品を中心にお届けしています。
お子様の健やかな成長を願い見守る雛人形や五月人形を、落ち着いた店内でごゆっくりお選びください。
京甲冑 江戸甲冑 ~五月人形、京甲冑と江戸甲冑の豆知識~
金工・皮革・漆工・染織など工芸技術の集大成といえる甲冑。古くから専門の製作者がいたことは、奈良時代の文献に見ことができます。
現在知られている甲冑師の中で、最古の家系とされるのは奈良の春田派、甲冑師の中で最も有名なのは京都に起こった明珍派とされています。
この時代から国宝や重要文化財として今に伝わる古甲冑の名品をもとに、本物に忠実に復元される節句用の鎧兜は、芸術的にもたいへん価値の高いもの。 伝統の技法と物づくりにこだわる西の最高峰が「京甲冑」であり、東のそれが「江戸甲冑」です。
「京甲冑」は本体となる金属工芸や金具細工を得意とし、くわえて西陣織や組紐、箔押し、木彫、指物など京の伝統工芸が結晶した華麗さが魅力。 一方「江戸甲冑」は和紙小札に漆仕上げの兜、そして金具や漆工、組紐、染織、皮革などの伝統的な技法を駆使した派手さをおさえた渋味が特徴です。
下地におよそ十工程、そして上塗り三工程のうちの最終、一気に上塗り刷毛を走らせる・・・
至難ともいえる技術を身につけても、京塗りは、ひとつの悩みを抱えています。それは、空中に舞う微細な塵や埃。 「夜霧の出るような晩、琵琶湖に船を出し、その上で仕事ができたらなあ」妥協を許さない京の職人気質を感じます。
藩政時代から400年以上もの間、金沢で受け継がれている金箔「金沢箔」はそれ自身の美しさもさることながら、 建造物や調度品の耐久性を高め、金閣寺や日光東照宮などの多くの文化遺産を現代に伝えてきました。金沢箔押し屏風のきらめきは、昔も今も人々の心を惹きつけてやみません。
根来塗りは、和歌山県にある真義真言宗の総本山である一乗山大伝法院根来寺(俗に根来寺)で使われていた漆器を江戸時代「根来もの」として珍重されたと伝えられています。 中塗りに黒漆を、その上に朱漆を塗り乾燥後、表面を研ぎ出し、所々に黒の研ぎ出し模様をつけた伝統技術の賜物。黒と朱色のコントラストがはんなりとした華やかさを醸し出します。
印刷によって模様を施された加工羽根が主流となっている今日。 人形の佳月は、日本の伝統文化を守り、ゆかしい節句の心を伝承させるためにも希少な金鶏鳥、銀鶏鳥、雉などの天然矢羽根を極力用いています。
印刷羽根では得られない自然の美しさが気品の高さを漂わせます。
漆の乾きに微妙な影響を及ぼす春の木の芽だち、湿気の強すぎる梅雨時、反対にカラカラに乾燥する冬、自然との戦いともいえます。 そうした自然の厳しさをのりこえて兜の裏側に透漆を施す白檀縅。飴色の輝きが平安武久の兜にひときわ華麗さを添えます。
優雅な風合いと精緻な文様を再現するゴブラン織の技法を用いた正倉院献上西陣織。伝統と歴史を誇る美術織物がよりいっそう平安武久甲冑の魅力を引き立たせます。
源氏重代の大鎧に範をとる平安武久の前立ては、姫小松を材とする木彫の龍。 反り返った鱗の一枚一枚、手足に絡みつく雲、いまにも炎を吹き上げんばかりの舌、まざまざと見せつけられる彫刻の冴え。 水晶の玉を抱き、燦然と平安武久の兜に鎮座する姿は、永遠に幼子を守り続けることを約束してくれる象徴といえます。
組紐の歴史は想像以上に永く、縄文土器に、埴輪の衣装に組紐の痕跡を見ることが出来ます。
平安時代には高貴な人の冠や衣装へ、そして室町時代に入り、禅や茶道・華道の世界で珍重されます。時代が武家社会へと移り変わると、装飾品であった組紐には、武具としての実用が始まります。
江戸時代、組紐の用途の中心は武家階級の武具として用いられるようになります。 兜の紐は、首へかけるため伸び縮みがよく、肩は刀では切れないようにきつく、腰よりも下は水に入ったときにも軽く、 動きやすいように・・・と、用途と部位によってその組み方は創意工夫がなされていきました。
そして組紐を組むことは武士の素養の一つとなり、組めないと一人前ではないとされたのです。 人形の佳月の加藤一冑作品は、日本で唯一本物の「冠組紐」を使用しております。真の節句の心、日本の精神美の世界をご堪能ください。
表面を数回打ち込み、反りが出たところを表面から調整打ちを繰り返す技法が鑽打ちの基本です。 その繰り返しは、一組の前立てに表面打ち約3000回、調整打ちに1000回。秋篠宮家の雛飾り金具を製作された「二代目、上昇」ならではの技。手造りの温かみが魅力です。