雛人形・五月人形・羽子板・破魔弓の人形の佳月
古都・京都の歴史の中で、守り伝え磨き抜かれた一流の技と美の結晶、京雛、京甲冑。
人形の佳月は、この伝統ある京を代表する雛人形作家、 甲冑作家の作品を中心にお届けしています。
お子様の健やかな成長を願い見守る雛人形や五月人形を、落ち着いた店内でごゆっくりお選びください。
五月人形 Q & A ~五月人形、鎧兜にまつわる疑問、豆知識~
お嫁さんのご実家で揃えるのが一般的ですが、地域によっては、女の子が生まれたらお嫁さん方、男の子が生まれたらご主人方という慣習もあります。
現代ではかわいいお孫さんのため、両家で折半にするなどはっきりした基準はなくなってきました。しきたりや慣習よりも、お子様の成長を祝福する気持ちを大切に、相談されてはいかがでしょう。
端午の節句の飾りは、赤ちゃんの身を守る意味のものですから、基本的には一人に一つ、用意してあげたいものです。
また次男のお子様が幼稚園に行く頃になると、お兄ちゃんと同じかどうかを気にするという話しもよく耳にします。長男が兜飾りをお持ちなら、次男は子供武者飾りや金太郎飾りなどにしてもいいでしょう。
初節句の場合は、三週間くらい前の吉日を選んで飾ります。 お節句は年に一度の大切なお祝いですから、できるだけ毎年飾って、ご家族の愛情をお子様に伝えてあげたいものです。
また、購入日や配達日も吉日を選ぶ場合は、余裕をもって三月末までに購入するとよいでしょう。
5月5日かその前夜(宵節句といいます)に、両家の祖父母や親戚、仲人夫妻、友人、お祝いをくださった方などを招きお祝いします。
鎧兜や五月人形を囲み、お子様の健やかな成長と厄よけを願って食事会などをします。凝ってお祝いしたいなら、武将のようにたくましくという想いを込め陣羽織を着せます。 陣羽織がない場合は、赤ちゃんの洋服に厄をはらうという意味で赤いリボンなどをつけてもよいでしょう。
端午の節句のお料理は、和食、洋食、中華のどれでもかまいませんが、かかせないものとしてちまきと柏餅があります。 柏の木は子孫繁栄の象徴とされており、丈夫でたくましい男性に育つようにという願いなのです。お料理を「柏餅風」「ちまき風」に工夫して盛りつけるのもおすすめです。
また最近では、お祝いの宴をレストランなどでする方もふえているようです。
お返しは初節句から一週間以内に、鰹節など祝儀用の詰め合わせにちまきや柏餅、おめでたいお菓子などを添えて贈ることが多いようです。 のし紙は「内祝い」「菖蒲一枝にかえて」とし、紅白の水引きの下にお子様の名前を書きます。五月飾りと映した赤ちゃんの写真を添えるのも喜ばれるでしょう。
お節句が過ぎたらなるべく早目に遅くとも五月中頃までにはしまいましょう。お天気のいい、からっと晴れた日が望ましいです。
節句飾りは金属部分が多く錆びやすいので、手袋を使用するなど直接ふれないようにしてください。汗や手の脂がついてしまったら乾いた布でよく拭き取り、金属部分は紙で包んでおきます。
鯉のぼりの汚れは軽く洗い流すか、よく拭き取り乾いた状態でたたんで保管しましょう。
堅固にして繊細、勇猛にして美しい。用と美、誇りと気品をかねそなえた日本の甲冑は、世界からも注目されるすぐれた美術工芸品です。 軍記物語や合戦絵巻にも描かれる華麗な武具が、中国大陸や朝鮮半島から伝来した甲冑様式を経て、日本独自の様式として誕生したのは平安の頃。
武家社会のなかで「身を守る」武具はたいへん大切なもの。敵から身を守ると同時に「邪気や災難から家を守る」として、着用しないときは家の一番大切な場所に置かれていたとか。 大将ともなれば雄壮華麗な装飾がほどこされ、武家文化を伝える数々の甲冑が国宝・重要文化財として伝承されています。
平安からの心と日本男子の誇り、美学をそなえた甲冑は「たくましく、健やかに、誇り高く」と盛運への願いをたくすにふさわしい伝統美です。
古くは漢の時代の中国より伝わり、日本古来の風習と結びついて男の子のたくましい成長を願う日となった「端午の節句」。 奈良時代は病気や災厄をさけるために菖蒲を飾り、よもぎなどの薬草を配る宮廷行事でした。 鎌倉・室町など武家の世になると、菖蒲と尚武(武をたっとぶ)をかけて菖蒲(尚武)の節句として盛んに祝われるようになりました。 やがて江戸時代になると5月5日は徳川幕府の重要な式日と定められ、武家では男子の誕生を祝い甲冑や幟(のぼり)を飾り、これにならうように町人の間では武者人形や鯉幟を飾るようになったと言われています。
1948年5月5日は「こどもの日」と制定され、現在まで、子を想う親の心とともに受け継がれているのです。
端午の「端」は「はじまり」を、「午」は「うまの日」を意味します。 つまり元々は「その月の初めての午の日」をさしていましたが、「午」と「五」の音が同じなので、毎月5日をさすようになり、やがて5月5日になったといわれています。
また、端午の節句は奈良時代から始まったとされ、その頃は季節の変わり目でもある5月5日に、病気や災厄をさけるための行事が行われていました。 厄よけの菖蒲を飾り、よもぎなどの薬草を配り、病気や災いをもたらす悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式も行われていたようです。
現在も5月5日に菖蒲湯に入るのは、無病息災を願ってのことです。